普段はなかなか「ありがとう」と言えないけれど、家族は本当に大切な存在ですよね。特にお父さんに感謝の気持ちを伝えることは意外と少ないかもしれません。
しかし、毎年6月の第3日曜日には、そんなお父さんに感謝を込めてお祝いする「父の日」があります。それでは、この「父の日」は一体どこから来たのでしょうか?今回は父の日の由来についてお話します。
この記事の目次
2025年の父の日は?
2025年の父の日は 6月15日(日)
父の日の由来は
父の日の由来についてはいろいろと諸説ありますが、今回は一番有名な「ソノラ・スマート・ドッド夫人の提唱説」についてをお話しします。
ソノラ・スマート・ドッド夫人の提唱説
母の日がきっかけで誕生した父の日
父の日の起源は、1908年に始まった母の日にあります。
母の日が広まりを見せる中、アメリカのアンナ・ジャービスという女性が、亡くなった母を偲んで教会で白いカーネーションを配ったことがその始まりとされています。
この母の日の活動に感銘を受けた「ソノラ・スマート・ドッド夫人」は、「母親に感謝する日があるなら、父親に感謝する日も必要だよね」と考え、父の日の提案を始めたのです。
父の日の運動の始まり
1909年、ドッド夫人はスポケーンのYMCAで開かれた集会で、父の日を提案する演説を行い、地元の牧師たちに協力をお願いしました。
彼女の情熱と努力が実を結び、翌年の1910年6月19日にスポケーンのYMCAで最初の父の日の祝典が開催されました。この日はドッド夫人の父親の誕生日である6月5日に近い日曜日に選ばれました。
父の日が国民の祝日になるまで
スポケーンで最初の父の日の祝典が開かれた後、この運動は次第にアメリカ全土に広まり、1972年にリチャード・ニクソン大統領が、6月の第3日曜日を「父の日」として正式な国民の祝日とする法律に署名し、アメリカ合衆国で父の日が正式に制定されました。
日本に父の日が普及したのはいつ頃?
父の日が日本に伝わったのは、1950年頃だと言われています。
当初は母の日(明治時代頃から浸透)に比べて認知度が低く、ごく一部の人がお祝いする程度で、一般の人々に広く知られるようになったのは1980年代に入ってからです。
1981年に設立された「FDC日本ファーザーズ・デイ委員会」の活動や、デパートなどが販売戦略として、父の日を取り上げたことがきっかけとなり、日本でも父の日が一般的な行事として広まっていきました。
現在では、6月の第3日曜日に日頃の感謝を込めて父親にプレゼントを贈るなどして祝う習慣が広く定着していますね。
父の日の由来の時系列
1909年
ソノラ・スマート・ドッド夫人が父の日を提案。彼女は自分の父親が6人の子供を男手一つで育てたことに感銘を受け、「母の日のように父親を祝う日も必要だ」と考えワシントン州スポケーンの牧師協会に働きかけを開始。
1910年6月19日
スポケーンのYMCAで最初の父の日の祝典が開催。
1912年
スポケーンの父の日の祝典が州全体に広がる。
1913年
アメリカ合衆国下院で父の日を国民の祝日とする法案が初めて提出される。
1916年
ウッドロー・ウィルソン大統領がスポケーンを訪問し父の日を支持する演説を行う。これにより父の日は徐々に広がりを見せる。
1924年
カルビン・クーリッジ大統領が、父の日を支持する声明を発表。
1966年
リンドン・ジョンソン大統領が、6月の第3日曜日を「父の日」とする大統領布告を発令。ただし、これは正式な国民の祝日としては認められなかった。
1972年
最終的にリチャード・ニクソン大統領が、6月の第3日曜日を「父の日」として正式に国民の祝日として制定。
日本への普及は?
1950年代
日本に父の日が伝わり始める。
1960年代~70年代
デパートや商業施設が父の日のギフト商品を販売し始めたり、メディアや広告の影響で少しずつ認知度が高まっていきました。
1980年代
1981年に「FDC日本ファーザーズ・デイ委員会」が設立され、父の日を広める活動が本格化。デパートや商業施設などで父の日がイベント化されプレゼントを贈る習慣が広まる。
1990年代以降
黄色いバラやプレゼントを贈る習慣が定着。ベスト・ファーザー賞などのイベントも開催され父の日認知度は向上し現在に至る。
まとめ
いかがでしたか。
このように、ソノラ・スマート・ドッド夫人の提唱から半世紀以上を経て、父の日はアメリカ合衆国の国民の祝日として確立され、日本へも伝わってきました。もっと昔からあったと思っていた父の日ですが、比較的歴史が浅いのは意外ですね。
普段「いつもありがとう」の気持ちを伝えられていない人は、父の日に「ありがとう」を伝えてみてはどうでしょうか。